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批評や分析ではなく個人の感想だよ

探偵・癸生川凌介事件譚 Vol.8「仮面幻影殺人事件」感想

 道中間違いなく楽しかったし、凄く好きな部分がある一方で、どうなのみたいな部分も出てきた、という感じでした。
 以下ネタバレ。

 

 前作から突然BGMはリッチになるし画風は変わるしボリュームも数倍になっていたので、何が起こったの…と思ったら、今作だけDSリリースだったそう。
 このシリーズって一作大体1時間〜2時間程度でクリアしてしまうのですが、今作に関しては10時間くらいのボリュームになっていて、これは単純に嬉しい。
 ダラダラ長いわけではなく、密度もちゃんと濃くて、『放火による一家惨殺事件』『深夜の通り魔事件』『オンラインゲーム内事件と同時に起こった飛び降り事件』3つの事件につながりが生まれ、複雑に絡み合うシナリオは気合が入っていて、読み進めるのが楽しかったです。
 新しい情報が出てくるとそれで解決ではなく、また新たな謎が連続して浮上するのも、夢中になれた要因。
 自分自身の本音や素顔が掴めないことを『幻影』と形容し、幻影が対人コミュニケーションにおいて実態を得ているように見せるため、誰かを演じることを『仮面』に置いたことが、"すぐ近くに潜んでいるかもしれない殺人犯"の恐怖を書くことに繋がっていくわけですが、その上で、昏い匣とはまた違ったベクトルで恐さを表現することにこだわっていたのが見えました。
 作中オンラインゲームのローポリ3Dモデルとか、実際に低スペックでこうなったのか、意図してこうなのかは知りませんが、相手が見えない不気味さが出て面白かったです。序盤のメッセージ解読難度が高すぎるゆきいるかとか、特に。
 首切断描写とか生首所持からの腐敗とか顔の焼け爛れとか、ゴア表現攻めてたのも良かったと思います。首切断はやりすぎだとも思いましたが、真犯人のキャラクターを出す上で外せませんし。
 真犯人といえば、りおちゃんはサイコ系女子でしたが、生育歴の歪みから自身の痛みさえよく知覚できず、それゆえにどこかカラッとしているのが、印象に残る犯人でありました。
 ミスリード部分の嘘告白、薫による首切断シーンを生々しく語った時点で、当時13歳が他人の首狩りシーン詳細に実況できるはずないよーと思い、彼女が真犯人であることを察したのですが、理知的な一方でこういう脇の甘さがあるところに青さを感じて憎めない。伊綱さんと生王に追い詰められる際も、失言をきっかけにして詰め寄られましたし。
 実質今作のヒロインだったそあ子さんも健気で可愛くて、こういうポジションのキャラクターがいるとテンション上がります。ゲスト女性キャラクターの魅力はシリーズでも屈指。グラフィック可愛くなってたのもあって余計に。この事件後のそあ子さんとりおちゃんがどう生きていくのかが気になったり…二人に思いを寄せられていた久我少年は、どんな良い男なんだ。(りおちゃんはちょっと好意のニュアンス違いますが)
 あと、音楽が良かったです!一作につき数曲しか収録されていないBGMが存外に良くて印象に残るのが癸生川シリーズではありますが、今作では使える音楽も増えた上に粒ぞろいで、これはスペック向上の恩恵がモロに出たところ。

 一方で、結構思想の強さが前面に出ていて、そこが致命的に受け付けず。
癸生川の、
「同じ動機があったとしても…殺人をする人はする!しない人はしないんだ!だから動機なんて関係ない!その人物が『殺しをする人』だったというだけの話だ!」
 は、OPムービーでも使用され、社会派ミステリーが主軸であった今作において、犯罪者へのスタンスとして一つの回答だったのだと思いますが、極端すぎる…。
 これは明確に私と考え方が合わず…。戦争・飢餓・虐待等、常軌を逸した過酷な状況下というのは実際にあるわけで、そんな中で殺人を犯した人を一概に「殺しをする人」「しない人」として分断することはできないと、個人的には思います。異常な精神的負荷がかかる状況に置かれることで認知機能が低下し、視野が狭まり、生きるために他人もしくは自分を殺すかしか採れなくなってしまうこととかは、誰にでもありえることだと思っています。
 まあ、癸生川は真相究明と被害者のフォローを重視する『探偵』という職業だからこそ、私と全然視点が違うんだろうな。
 なので、癸生川といういちキャラクターが強い主張を掲げる事そのものには問題はないし、生王と伊綱さんもこの主張には頷いておらず、作品としてそこの冷静さは保たれていて、決して盲目的に推しているということはないのですが。
 今作のメタ部分において癸生川凌介という存在が事件の真相をもたらす存在であり、物語構造と密接すぎるがゆえ、癸生川の思想=物語としての正解、として捉えてしまうところはどうしてもあって、今回に関してはそこが問題だったなと。
 ですから、癸生川という強いキャラクターに強い思想を持たせるとしたら、誰かしらからのカウンターは必要だったと思います。しかし、その場合、作中最強キャラクターである癸生川に負けないキャラクター性をもつ存在でなければカウンターが成立しない………蘇りの秘術で涼二さんを蘇生させよう!
 とはいえ、その後の癸生川の
 「対外的なコミュニケーションさえしっかり取れるようになれば世の中の犯罪は半減するのだ」
 は、やはり強い言葉ではあるものの、普遍的な意見で、こちらは呑み込みやすかったです。
 また、癸生川のこの言葉ではりおちゃんの心は動かず、りおちゃんが自分自身でもわからなかった本心「悩みを聞いてほしかった」を生王が予想することで、やっと救いを見るのは良かったです。対外的なコミュニケーションをとるための前身となるのが、自分の心をちゃんと知ること。生王に気持ちを代弁され、「ありがとう」を伝えた瞬間に、りおちゃんはやっとその一歩を踏み出すことが出来たのかなと、思った次第。

 また、伊綱さんが微妙に鈍いのも、ストレスでした。時系列的には海楼館直後なので、探偵としてはまだまだな時期で、意図して鈍いのかもしれませんが、リリース順だと直前の登場作がよりによって切れ者具合で無双した対交錯だったので。
 今作に関しては真犯人が誰か結構気付きやすいと思うのですけれど、プレイヤーはミスリードを察しているのに、理知的な伊綱さんがそれにまんまと引っかかって、癸生川にあとから種明かしされて、釈然としない。
 警察がりおちゃんをきちんとマークしていたことも、別の犯人指定した生王と伊綱さんのピエロ感が出てしまいました。もちろん、道中の推理は決して無意味なものではなく、道中があったからこそ、癸生川がそあ子さんに真実を話す必要が出てきたわけですけれども。そしてそれが、癸生川シリーズにおける「探偵とは何か」であり。
 また、癸生川からの種明かしも、伏線はあったものの違和感止まり要素に対して、いきなりそあ子の正体→真犯人当ての解答編が連続し、謎として捉えるにはあまりにも弱い要素に「実はこうだった」がもたらされ、考える余地が消滅したのは、事件構成は凄く練られていた分勿体無かったと思います。
 で、こうしてグズグズ書いてて思ったのですが、シリーズの基本フォーマットである【生王と伊綱さんの調査→伊綱さんの推理→癸生川の種明かし】の、伊綱さんから癸生川にバトンタッチするタイミングって、凄くシビアですよね。
 それがシリーズでも成功したと思うのが、楽園・対交錯なのですが、フォーマット踏襲方法としては以下の形
■楽園…伊綱さんの推理を癸生川が補強。
■対交錯…その事件そのものは伊綱さんが単独で解決し、その裏で暗躍していた黒幕を癸生川が問い詰め、戦う次元を分けている。
 逆に失敗していると思うのが、仮面幻想と海楼館の"伊綱さんのミスリード推理を癸生川が後出しジャンケンで食っちゃう"やつだと思っているのですが、今作に関してはこのパターンだったなと。さらにいうと、今作は後出しジャンケン感は仮面幻想と海楼館よりも緩和されているのに、今作の方が伊綱さんの扱いが個人的に嫌だった…
 どうしてそう思ったか考えたんですが、白鷺で伊綱さんのバックボーンが書かれて以降は、彼女を単なる癸生川の助手ではなく、一人の自立した探偵として書く必要が発生しており、それが癸生川のコントロールにかなり制限をかけてしまっているところはあるのでは。
 つまり、伊綱さんが探偵になる物語を書く上でのしわよせが、癸生川にいってしまっているという…印象。白鷺がシリーズのドラマ部分の底上げをしてくれているのは間違いないので、難しいところ。

 とまあ、ダラダラ不満点を書いてしまいましたが、最初にも申し上げたように、道中は十分楽しませてもらいましたし、シリーズやキャラクターへの愛着は既にあるので、過去要素の拾い方などファンサービスに溢れていたのは超嬉しかったです。
 また、シリーズとは外れた部分ではりますが、パラノマサイトに続くであろう要素が今作から散見されたのも、ゲームオタクとして個人的には収穫でした。
 あちらは非のうち所がほとんどないゲームでしたが、近い流れを汲みつつ、こんなに洗練されるものなのか。凄い。
 もちろん、癸生川とパラノマでは時代も環境も全く違うので安易に比較すべきではないのですが…仮面幻影をリアルタイムで遊び、パラノマに辿り着いたプレイヤーが、私は心底羨ましいです。